広島県知事
横田 みか

YOKOTA MIKA


横田 美香(よこた みか)
1971年8月1日 広島県呉市生まれ
呉市立昭和東小学校に入学。小学5年生から中学3年までを父親の仕事の関係でブラジル・リオデジャネイロにて生活する。リオ・デ・ジャネイロ日本人学校小学部、中学部卒。その後日本に帰国。
広島大学附属高等学校卒業
東京大学法学部卒業

経歴

1995年4月農林水産省入省、農蚕園芸局総務課配属
1999年7月郵政省(2001年1月総務省に改組)に出向、放送行政局衛星放送課企画係長
2001年7月林野庁林政部林政課総務係長
2002年7月国土交通省に出向、土地・水資源局土地情報課課長補佐
2004年7月水産庁漁政部加工流通課長補佐
2006年7月農林水産省大臣官房企画評価課知的財産戦略チーム課長補佐
2008年7月民間企業(コンサルティング会社・保険会社)出向
2010年7月農林水産省経営局保険課経営専門官
2011年10月生産局競馬監督課競馬監督官
2013年7月農林水産省食料産業局企画課食品企業行動室長
2019年7月農林水産省経営局就農・女性課長
2021年4月富山県副知事
2024年4月内閣官房内閣審議官(内閣人事局)
2025年4月広島県副知事(同年9月1日辞職)

趣味

バレエ・ミュージカル鑑賞、ドライブ 

好きな食べ物

果物、野菜、米、肉、魚、卵、乳製品

横田みかの生い立ち

広島県呉市の、田園風景の中にある家に生まれました。写真は、1歳くらいに実家の床の間の前での一枚。

家でも、祖母を中心に、田んぼで稲作、家の周りの畑では、様々な野菜を育てていました。蓮池、柿の木3本、イチジクの木、グミの木もありました。

小学低学年の時の同級生との一枚。野山を駆け回って遊んでいました。
この頃、田植えは手植え、収穫も鎌で刈り、乾燥は木の棒で作った棚に“はざかけ”。田植えと収穫は、私もお手伝いしました。脱穀後の稲わらを5㎝くらいに刻んで、収穫後の田んぼに台形のベッドのような形で置いておくのですが、小学生の時に、よその家の田んぼの稲わらベッドにダイブして、秘密基地を作って遊んでいました。今から考えると、怒られなかったのが不思議です。大人たちの寛容さに感謝です。
田んぼの風景も、この半世紀で変わりました。

小学校5年生から中学3年生まで、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。日本人学校に通いましたが、現地の言語であるポルトガル語の授業もあり、写真のような、お話大会なども開かれました。
リオでの暮らしは、少人数の学校の日常の他、古都の街の風景、美しい海岸、日本とは全く異なる地形、レストランや市場、サッカーのワールドカップなど、とても多くの思い出があります。

習い事も、いろいろと経験しました。水泳(リオは1年中屋外で泳げます。)やピアノ、剣道。左の写真は、中学2年生の時、サンパウロにある日系の方々の各県人会の剣士との交流試合に参加した時のものです。

また、右の写真は、リオ・デ・ジャネイロの自宅での15歳の誕生日と日本人学校の15周年を同時にお祝いしたときのものです。日本人学校の旗と誕生日ケーキと一緒に写真をとりました。

ブラジルから帰国し、高校時代は広島で過ごしました。
演劇部がなかったので、同級生と劇団を立ち上げ、脚本、音楽、振付、衣装も含め基本自分達で作り上げた演目・演出での公演を3か月に1回実施していました。劇団の名前は「碧(あお)」。後輩には引き継がず、高校2年生の終わりに解散しました。
一緒にかけがえのない経験をした仲間たちに感謝です!

1995年4月に農林水産省に就職。3年目に、初めて法律改正に携わり、関係者に改正の方向性の説明を行った時のもの。この時の食品の規格、表示制度の改正の経験は、行政官としての重要なスキルの獲得につながりました。私の仕事の原点です。

水産庁で、水産物関係の国際交渉を担当し、WTO事務局で他国と交渉に行った時の写真。スイス、ジュネーブのWTOの建物の前で。

仕事の傍ら、28歳でバイクを始め、何度かサーキットにも行きました。サーキット走行では、スピードがあまりに遅く、一緒に行った人たちから、途中で転んだのかと思った、とあきれられました。安全運転です(苦笑)

国家公務員となって13年目に、民間企業に出向しました。コンサルティング会社と保険会社を経験し、公務と企業の社会における役割の違い、市場の見方の違い、お金の感覚、人事管理、企業や組織との連携の方法など、多くのことを学びました。この経験が、規格・認証の仕組みを提供する新しい団体を立ち上げた際に大いに役立ちました。

農林水産省で、初めて管理職になったのが、食品企業のリスク管理に係る対策を担当していた「食品企業行動室長」。この時に、食品企業の食品安全マネジメントを第三者が認証する、「日本発」の民間認証の仕組みを、多くの食品関係企業の皆さんと一緒に立ち上げました。国際的な承認を得ることができ、国際的なルールメーキングに参画できる基盤を作ることができたと思います。若手の頃に感じていた課題について、20年後に一部を形にできたことは大きかったです。

2021年から3年間、富山県副知事を務めました。幅広い地方行政を、知事に近い立場で担当し、地域の経済と国・県・市町の役割を体感するとともに、視野が大きく広がり、県民の皆さんを始め、多くの人々とのつながりを持つことができました。
そして、今年(2025年)4月に二度目の副知事として、ふるさと広島県に出向しました。富山県や国の機関での経験は、広島県でしっかり活かしていけると感じています。